大島慶一郎(1908-1996)
診療所の歴史(医療生協さいたま大井協同診療所の歴史)
1945 社務所での大島医師の診療開始
1946 健康保険組合大井医院開設 院長 大島慶一郎
1949 閉鎖に対し裁判闘争始まる
1950 川越診療所開設
1951 富岡診療所開設
1952 裁判闘争に勝利し施設を買い取る
医療生協さいたま 秩父生協病院の全日本民医連の紹介ページ
埼玉県の民医連の事業所一覧 住所・連絡先も掲載
所沢診療所 創立70周年ちらし 1953年9月1日に大島慶一郎医師を初代所長に迎えて所沢診療所が創立されたので、2023年9月で70周年を迎えたと伝えている ひこうき雲(医療生協さいたま) 2023 No.9
医療生協の歴史と沿革(日本医療福祉生活協同組合連合会HP)
cf. 記念誌「医療生協さいたま 合併30年の歩み」医療生協さいたま30周年事業実行委員会 2023/02
この記念誌冒頭の記事により、埼玉県民主医療機関連合会の大会決議により医療生協化と組織統一が進められてきたことが分かる。つまり、民医連が医療生協化・組織統一を推進するという関係性にあることが理解される。そして1992年に県内の医療生協は統一され、「医療生協さいたま」がスタートしている。
政治経済研究所大島社会・文化研究室報告 大井医院・大島慶一郎関係資料の意義と展望ー地域に残る戦後史資料の可能性を考える 報告 鬼嶋淳 専修大学文学部教授 2022/03/01 peatix
報告要旨 2001年に大井医院は解体され、大島慶一郎関係資料は、ふじみ野市立大井郷土資料館に運ばれた。資料の調査・整理・目録作りが行われ、2023年に目録が刊行される見込み。資料は3つの資料群に分けられる。1)戦後医療運動に関する資料、2)地域政治関係の資料、3)地域関連の資料 である。ほかに大島個人に関する資料があり、総数はダンボール箱で500箱以上。
政治経済研究所大島・社会文化研究室報告の告知 2022/02/01付け
報告要旨 および 主催主旨(事務局)
鬼嶋淳『戦後日本地域形成と社会運動―生活・医療・政治ー』日本経済評論社 2019に対する坂口正彦(大阪商業大学)の書評 歴史と経済 250 2021/01 62-64
cf. 鬼嶋淳 戦後地域における「デモクラシー」研究の課題と方法『部落問題研究』231 2020/02 26-31
cf. 『学習ブックレット 民医連の綱領と歴史』保険医療研究所 2019/03
ふじみ野市平成30年度(2018年度)事務事業評価シート 大島家文書の扱いについてはpp.19-20 評価日 2019/04/05 目録作成に向けた整理業務が記録されている 大島家文書については「戦後大井地域の歴史、とくに地域医療活動を知る上で重要」と記されている。
科研成果報告書「戦後日本における医療運動の展開と地域社会形成に関する実証的研究」2018/06/13提出 研究期間2013/04/01-2018/03/31 鬼嶋淳 佐賀大学准教授
1950年代における農村医療運動の展開と地域社会 部落問題研究 205 124-156
大井医院・大島慶一郎関係資料目録 埼玉県ふじみの市立大井郷土資料館
医療生協さいたま生活協同組合HP 2016/08/19 「大井診療所70周年のつどい」2016/08/27開催の案内 午後の講演 佐賀大学准教授 鬼嶋淳 先生「戦後大井村における農村医療運動―大井医院の出発」
医療生協さいたま生活協同組合Press Release 2016/08/19 大井診療所70周年のつどい 2016/08/27 開催の案内 開設時と現在の大井診療所の写真あり
鬼嶋淳 一九五〇年代における農村医療運動の展開と地域社会:埼玉県大井医院を中心にー 『部落問題研究』205 2013/06 124-156
cf. 全日本民医連『無差別・平等の医療をめざして 上下』保険医療研究所 2012/02
cf. 鬼嶋淳 1970年代における空襲・戦災記録運動の展開ー東京空襲を記録する会を中心にー 『日本史研究』34 2008 94-113
鬼嶋淳 戦時・戦後の保健医療問題と農村社会 日本史研究 32 2008 94-113
ふじみ野市の成立(上福岡市と大井町が合併)2005年(平成17年)10月1日
大井町立郷土資料館はふじみ野市立大井郷土資料館に改称
さいたま民医連50周年記念集会 2004 /01/24 来賓・OB挨拶 権田圭助氏の話の中で、健康保険組合と大島氏が対立して、大井医院の閉鎖をめぐって争いが起きたことが説明されている。
吉田健二「民主評論の創刊と編集・経営事情(1) 占領期の左翼雑誌」『大原社会問題研究所雑誌』 489 1999/08 19-34
ここで大島慶一郎について、大島は有賀新と第一高等学校時代以来の友人であり、大島は1945年1月に東京都駒込社会保険病院内科部長を辞めて、農村医療に従事するため埼玉県入間郡大井町に転居した。その転居の前後や終戦直後に上京の際に有賀と会って、有賀から政治雑誌創刊の意図を聞いているとする。創刊の意図は、大衆にデモクラシーを普及確立することにあり、読者対象も広く大衆を想定していたと。pp.22-24 なお吉田は典拠は1991年1月21日に大島の自宅で行った聞き取りにあり、その詳細は、大原社会問題研究所雑誌395号と397号に発表済で、この箇所は397号ですでに発表した部分だとしている。
増岡敏和『大島慶一郎医師風雲伝:二十四時間は患者のもの』政治経済研究所 1998/10
注釈で大島について生協医療運動家で、埼玉県議会議員を3期務めたとある。なお政治経済研究所の刊行とあるが、現在の公益財団法人政治経済研究所のHPには、本書に関する情報はなかった。なお増岡氏は民医連で医療史に関わる著述がある。『所沢市文化振興ビジョン』2018/01において増岡氏は、所沢にゆかりのある著述家の一人として紹介され、そこに『大島慶一郎医師風雲伝』が著述の一つとして紹介されているp.63。
松島春海 追悼 大島慶一郎名誉顧問 大島久保記念医療文化研究所のことなど 政経研究 68 1997/05 37-39
大島慶一郎氏に聞く 民主評論と有賀新 下 法政大学大原社会問題研究所雑誌 397 1991/12 54-63
大島慶一郎氏に聞く 民主評論と有賀新 上 法政大学大原社会問題研究所雑誌 395
1991/10 59-69
大井町史編纂委員会『大井町史 資料編3-2(現代)』大井町, 1989/08 (国会図書館デジタル化資料)この資料はデジタル化されており国会図書館の利用者カードがあれば、自宅から全文検索できる。本書には「大井医院の十九年の医療活動」と題した資料が納められている。これは全国民医連第11回総会の討議資料として埼玉民医連が提出したもので、大島慶一郎氏所蔵資料とある(pp.166-174)。活動を通して学んだこととして記されていることなどが参考になる。なおこの資料で大島は大井での診療について、当初は東京の病院に通勤しながら、朝夕患者を診ることでスタートしたと説明している。
大井町立図書館と大井町立郷土資料館が併設施設として同時に開館 1988
大島慶一郎 大井町国保の現状と運動 『賃金と社会保障』922 1985/09/25 26-27
全日本民主医療機関連合会歴史編纂委員会編著『民医連運動の軌跡』全日本民主医療機関連合会 1983/12 (国会図書館デジタル化資料)この資料はデジタル化されており国会図書館の利用者カードがあれば、自宅から全文検索できる。大井医院の闘争が、税金の取り立てに反対するものでもあったことなど詳しく書かれている(pp.84-87)。全日本民主医療機関連合会の発足(1953年)にあたり、大島が二人の副会長のうちの一人に就任したこと(p.115)。その後、活動の空白県をなくすため(1955年)、茨城と山梨に大島自らが出向いたこと(pp.150-151)。文化大革命渦中の中国に第三次訪中団の団員として訪中したこと(1964年9月―10月 pp.268-269)が記録されている。
埼玉県議会選挙・旧西第7区 9回(1979/04)-17回(2011/04)
大島慶一郎氏は9回1979/04と10回1983/04に出馬。9回は8394票で当選。10回は8481票となるも落選。以後、共産党はこの区で議席を得ていない。区割りは第15回までは大井町、三芳町。
cf. 増岡敏和『民主医療運動の先駆者たち』全日本民主医連本部 1974/01